今日の花は「ネリネ」
先日、仏壇用にと戴いて来た面白い花名も知らぬ花の名前を
知ったのはアメーバブログのフォロー仲間の「itunoyume66」
さんのブログでした。
名前が解り次の日に戴いた方の家庭菜園へ出掛け撮しては
来たものの未熟な撮影技術故に英名のDiamond lilyのような
キラキラと輝く様は出来なかった。
南アフリカ原産のサルニエンシス種(N. saruniensis)を中心に
交配された園芸品種群です。
17世紀ごろからイギリスで育種が始まり、現在ではわが国
でも行われています。
10月から11月ごろ、花茎の先の散形花序をつけ、10~20個
の花を咲かせます。
花披片は6個あり、花色はピンク色から濃赤色まであります。
葉は紐状で根生し、晩春には枯れて休眠にはいります。
日に当たるときらきらと輝くことから、別名で「ダイアモンドリリー」
とも呼ばれます。
ユリ科ネリネ属の多年草で、英名は Nerine, Diamond lily。
今日は何の日(皇紀二千六百七十九年十二月十三日(金) )
歴史上の出来事
▼隅田川に両国橋が完成(1659)
▼中江兆民、没。54歳。無葬式・解剖を遺言。翌日、わが国初の
「告別式」が行われる(1901)
▼日本軍が首都南京を占領(1937)
▼Winny開発者に京都地裁が著作権法違反幇助で有罪判決(2006)
今日の誕生日
▼ハインリヒ・ハイネ(詩人 ・1797)
▼田山花袋(作家 ・1871)
▼横峯さくら(ゴルファー・1985)
クローズアップ!
山をこよなく愛した日本アルプスの紹介者、小島烏水没
日本登山界の大先達、小島烏水。志賀重昂の『日本風景論』に触発されて山登りを始め、1905年に日本山岳会を創設。飛騨・木曾・赤石山脈からなる“日本アルプス”を、宣教師で登山家のウェストンとともに国内外に紹介した。
「私は山が好きである、好きであるから登りますが、どうか真率な態度は失ひたくない、……山岳に登るというと、唯もうムヤミに探検とか冒険とかいつて、山を這ひずり廻つて、『山荒し』をする者と、愛山家とを、ひとつに世間から誤解されることは、甚だ残念である」と述べた。
1948年のこの日、76歳で逝去。
ーー-----お知らせ&メモ------ー
こちらは、次の更新までのメモ&日記+ぼやき
□令和元年12月18日(水)
昨日17日にヤフーjpからヤフーブログ修了のメールが来てた。
14年間のご利用を有り難う御座いました。の内容でした。
掲示板の時代からブログに替わり本当に長い期間だった。
写真の投稿もお互いに出来ナイショチェックも出来便利でした。
今でも使い良さが懐かしい。
□令和元年12月19日(木)
コメント
コメント一覧 (9)
そう言えば今でも昔使っていた掲示板はそのまま残っているかもしれないですね。
写真の投稿でのレスも可能で、現在のブログよりコミュニケーションは良かったような気がします。
インターネットが普及する前の掲示板などの手段はアマチュア無線の電波を利用してたパケット通信が発端ですね。
約35年ほど前のパソコン通信はアマチュア無線家がTNC(ターミナル・ノード・コントローラ)を使って、マイク端子からパケットで送信してました。
28Mhzでは全国ネットの転送系のBBSで、ホスト局はそこから144Mhzや430Mhzでローカル局と接続してました。
飛騨地方にもホスト局を設置し、そこから全国へ向けてクイズを毎日発信し、週間で正解者の順位を付けたりしてました。
その後電話回線をそのまま利用したインターネットへと発展していきました。
有線回線をそのまま使用するので、大変だった記憶があります。
ほんと懐かしいぃ~
jinsen99
がしました
ナイスなコメントを有り難う御座います。
覚える気も無いけどナンタラムーンは結構動物の名前が付いてましたね。
写真・画像の加工等の技もセンスも無いので、あるがままの姿が好きです。
ビキニ姿とあるがまま姿との違い?かも・・・
父上もカメラ(写真機)がお好きでしたか!
マグネシュームをボンと焚き青白く濁ったバルブが飾り物かぁ。
時々ボルブの保護膜ご膨れて面白く成ったのも有りました。
親父は警察官の前に大須でカメラ屋とラヂオ屋をやってたそうです。
jinsen99
がしました
「ネリエ」・・・私は練り餌(小鳥の幼鳥の頃に食べさせる餌)を想像してしまいました・・・(^^;
別名が素晴らしいですね「ダイアモンドリリー」
キラキラと輝くユリ?
きっと日の当たる時間帯などにより、色々な様相を見せてくれるんでしょうね。
紅葉の撮影も時間帯によって、綺麗にも汚くにもなります。
昨日のコールドムーンは雲が出てきて慌ててしまい、撮影に失敗!
jinsenさんの赤と緑のコントラストが綺麗に出てます。
これはフラッシュ撮影ですか?
jinsen99
がしました